大相撲の八百長疑惑

 大相撲の八百長疑惑が週刊誌にスクープされ、結構他のマスコミにもいろいろ取り上げられている。以前からある週刊誌ではよく取り上げられて、週刊誌も飯の種にしたいだけに思えるし、何を今さらという感じだ。
 仮にヤオだとしても、裏で不正な賭博がされていたとか犯罪が関係していたら別だが、どうせ相撲部屋内部だけの話なら、どうでもいいことではないのか。そもそも五輪やW杯でもなければ、プロスポーツの試合では、勝敗なんて一部の熱狂的なファン以外にはどうでもよいことだし、問題はその内容だろう。負けることになっている相手があまりにも無気力で、誰からもわざと負けたように見えるのであれば、それはプロ失格だろう。やるんだったら、さんざん追い詰めた末の大逆転の決着くらいの演出をすべきだろう。
 何より最近の相撲は朝青龍の一人勝ちで、日本人横綱が出てこないということを差し引いても、熱気のある取組もきわめて少ない。今回の騒動にはこういった大相撲の人気低迷も背景にはあるのだろう。


 プロレスでは元レフェリーの暴露本というのがあって、プロレスはほとんどヤオでしたと言っている。あの猪木の試合も、アリとの格闘技戦以外はヤオだったと証言している。しかしそんなもので今さら誰も驚かない。猪木に関して言えば、あのモハメドアリ戦がヤオではなかった(交渉がうまくいかなかった)だけでも驚きだし、それだけでも十分だと思う。
 なにせ、宿敵だったタイガージェット・シンがサーベルを振り回しての登場は猪木自身のアイデアだったそうだし、ブルーザー・ブローディが「運命」の曲で登場するのも猪木の発案だったそうだ。つまり、自分で相手のこともプロデュースしながら盛り上げて興行を作っていたわけだ。これが実際、プロの興行というものだろう。

 かつて相撲最強論というのがあった。異種格闘技戦に力士が登場すれば、どのジャンルの格闘技よりも相撲が最強ではないかと、当時は小錦最強論などもあった。しかし今では、K-1での曙のふがいなさにその神話も崩れたようだ。


 格闘技の世界では、ガチとヤオをシュートとワークという。シュートは忌み嫌われて、むしろタブーの意味合いが強いだろう。ワークとは面白い言い方で、ちゃんと観客を沸かすような良い仕事をすることを意味するのだろう。結論を言うと

本当に一流のファイター同士が戦えば、シュートもワークも超越するものだ。

という、あるレスラーの言葉を支持したいものだ。