携帯でワンセグを視たい?

 一種の流行語になった「ワンセグ」。パソコンやワープロみたいに日本語独特のカタカナ略語なので、なんとなく意味ありげだ。SMAPのキムタク(これも略語か)がワンセグのCMの中で、公園のベンチでおばさんとのやりとりで「や〜ね、自分だってちっとも分かってないくせにね〜。ワンセグと言われてムキになるシーンが笑える。世の中の人の心情を言い当てている感じがするから。実際、携帯で視聴してみたいと思う人がかなり多いようだ。

携帯でワンセグを「視聴したい」が半数以上--インフォプラント調査

自分はノートPCにワンセグを入れて、しばしばワンセグながら族」をやっているが、携帯で、電車の中とか喫茶のような場所でまでTVを視たいとは思わない。よほど緊急の時とかリアルタイムの情報を得たいときでもない限り、電車の中なんかでは本や雑誌のようなアナログの方がいい。いい気持ちで眠くなること請け合いだ。

 それに視たいとはいっても、しょせん内容はただのTVだし、よほど1日中TVを視ていたいほど好きな人ならともかく、ちょっと視慣れるてしまうと「な〜んだ」ということで飽きてしまうかもしれない。まあ携帯の新しいサービスという点が関心を引くところなのだろう。昔は(今もあるかもしれないが)、腕時計でTVなんてのもあった。視るというより映ることに意味があるのかもしれない。


 ノートPCでワンセグを視ている感覚では、TVはもはやPCの中のウィンドウの1つに過ぎなくなったということだ。PCで何かやりながら、適当な画面サイズでTVを視ていて、気が散るようなら画面を最小化して音だけ聞き、音が気になるなら音を消して画面だけ視るように、TVなんてどうせ単方向メディアだから「流して」おけばいいやくらいの感想である。子供の頃は真剣に視たい番組のときは、TVの前に正座してオープニングの場面を迎えたものだ。今や「テレビっこ」などという言葉も死語になったかもしれない。そんなことが思われたワンセグという言葉である。