日本の"大学生"は中学生レベル?

 大学生の国語力の低下が深刻だそうだ。国語力というより学力全般の話だろう。確かに教育現場では大変だろうが、大学・短大数の増加と少子化の流れを考えれば、予想された話ではある。ゆとり教育」だけが問題なのではない。

【大丈夫か日本語・上】大学なのに…中学生レベル6割!?

 昔の週刊誌に、水商売のアルバイトをしている女子大生のことを取り上げて、最高学府の女子大生が水商売なんてとモラルハザード的にセンセーショナルに取り上げて記事にしている時代もあった。その程度のことは、今では記事にもならないほど世相も変わった。
 当時のある大学の先生などはそれを笑って「女子大生が水商売をしていると考えるからけしからん、ということになるのであって、水商売の女性でも大学に入って勉強するようになった、と考えれば良い時代になったということじゃないか」と言ったという。


 同じ論理で「大学生の学力が中学生並みになったと考えるから嘆かわしいと思うのであって、中学生程度の学力しかない人でも、広く大学で勉強できる機会が与えられるようになったと考えれば、教育の機会均等とか生涯学習の浸透とかがより進んだ良い時代になったと考えられる」ということにはならないのか。もはや日本の「大学生とは」を昔のままのイメージで考えてはいけない。


 皮肉的な話はともかく、昔のように学力がありながら経済的理由で大学進学を断念だとか、家業を継ぐために進学させてもらないという時代ではないのだから、勉強したいわけではなくても、かといって高卒ですぐ働きたいわけでもないのでモラトリアムとして大学に入るとか、親が行けと言ったからなんとなくという入学動機も増えている。
 少子化のこともあり、大学に進学するのはずっと容易になった。いわゆるFランク(フリーパス)の大学では、学力試験制度そのものが事実上崩壊している


 高校も厄介払いではないが、学業が至らなくても留年させることなど、ほとんどなくなった。不況の時代に高卒では就職も難しく、進路指導でとりあえず入れる大学に入れてしまえば任務完了となるから、それまでとても大学になど入れるレベルでない生徒までどんどん進学させた。受け入れる大学も生き残りに必死なので、学力には目をつぶり、レベルを下げてでも定員確保に躍起になっているのが実情である。


 一番の問題は大学入学時点の学力よりも、勉強でもクラブ活動でも目的意識のない学生が増えたことだろう。学力はさておき、モチベーションの無い人に手取り足取り指導する余裕は、本来の大学にはないはずである。結局、私立大学などは、教育内容なども軽視して学校経営を金儲けの道具にしてきたツケが回ってきたといえるのだろう。