フリーソフトウェアによってもたらされたもの

 あらためてRichard Stallmanを評価する記事があった。StallmanといえばUNIXの神様、Emacsの開発者、FSF(FreeSoftwareFoudation)の創設者、GPL(GNU Public License)の確立といった、まさにソフトウェア思想の伝道師といったところだ。日本人から見れば、どこぞの新興宗教の教祖という失礼な印象を持たれるかもしれないが、その通りだ(笑)。

ストールマンは正しかった

Stallmanは、同年代のビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブスのように、ビジネスを成功させた人でもなんでもない。むしろそういったことと無縁の人であると言えるだろう。アメリカを代表する偉大なハッカーの1人であると言う方がいい。自分もコンピュータの世界の中で、最も尊敬する人物の1人である。主張は頑固だが、素顔は茶目っ気たっぷりらしい(写真)


 インターネット時代よりも、UNIX時代に影響を与えた人と言った方が正確だが、なぜMicrosoftネットワークではなく、インターネットが世界標準として定着したか、それは自由なUNIXがベースになっていたからである。

 Microsoftが作り上げたライセンス商法が行き渡った当時は、現実的に組織で有償ソフトウェアを購入すると、ライセンスの数だけ同じ数のパッケージの箱を買わなければならなかった。違法コピーではなく、ちゃんと購入したという証拠のためにもFDを抜き出した空箱をとっておかなければならない。普通のオフィスや倉庫で、そんな無駄なスペースを取られるのも困る。自分も「どう考えてもこれはおかしい」と直感的に感じていた頃、出くわしたのが Stallman の思想だった。


 「ソフトウェアは人類共有の文化である」という思想から、特定の組織や団体がその利益を独占することは許されないとする。ソフトウェアの自由の象徴として、当時は自由の女神がFDを掲げているイラストがあったのも時代を感じさせる。複製の自由が認められなければならないということから Copyright に対して Copyleft という言葉も生み出した。このへんは皮肉的なユーモアであろう。


 インターネット普及の影響によってオープンソースの時代になり、開発者もユーザも、そして企業や団体もソフトウェアに対する意識が大きく変わった。図らずもそれは Stallman が思い描いていた姿と、当たらずとも遠からずのものになってきている。ソフトウェアに関して言えば、今では違法コピーという言葉すら死語になりつつある。


 Stallmanが慧眼であったというより、正しい首尾一貫とした思想は、形を変えても必ずどこかで芽を出すものだということではないだろうか。時代が至っていない頃から、そうした主張をし続けた先駆者としての業績は、やはり偉大である。新しい発展のためには、こういう思想的背景や指導原理のようなものの存在は重要なことである。


 国内では、音楽での著作権問題に関しての時代に逆行したような判決が見るにつけ、つくづくこの分野では思想が確立されておらず、ソフト販売会社にあたるレコード販売会社の利益の独占を維持するだけのために、なりふり構わないように見える。テレビとかマスコミも似たようなものかもしれない。

 ソフトウェアの世界は、その点では進歩してきたといえる。日本の職業的プログラマが、という意味ではないが。


 さて小さなこと?だが、はてなが新しいロゴをフリーにするという。

はてな、ロゴマークを刷新 クリエイティブ・コモンズライセンスで公開

フリーにすることで、新しいアイデアが出現することになるとしたら、これもフリーソフトの考え方が生かされていることになるのかもしれない。