桑田、イチロー対決を制す

 メジャー・インターリーグ交流戦)のマリナーズ戦のためシアトルを訪れていたパイレーツ桑田は、予想通りにイチローとの対決が実現し、見事に三振に討ち取ってみせた。松井との対決では、元同僚という意識が強すぎてやりにくかっただろうが、今回は勝負に集中できたようだ。

桑田「対戦できただけで幸せ」レインボーカーブでイチロー斬り!
イチロー「参りました」桑田とのメジャー初対戦はクルリ1回転

 この対決の陰の仕掛け人は、両者との関わりが深いパイレーツのジム・コルボーン投手コーチのようだ。コルボーンはかつてオリックスの投手コーチだったことがあり、同じ年に入団したのがイチローだったという。ちなみにコルボーンはトレーシー監督とともに、野茂や石井がドジャースに在籍した当時の投手コーチでもある。パイレーツでは当然、桑田の状態を最もよく知る立場にあり、今の桑田なら十分イチローに通用するという判断もあったのだろう。


 イチローも試合後、自身の安打のことには触れず、桑田との対決のことばかり話したという。イチロー自身も対決してみて楽しかったのだろう。かつては日本のオープン戦とオールスター戦で対戦があったかどうかくらいだが、当然ながら全盛期の当時のイメージではない。今や老獪な大ベテラン投手である。


 「どのボールにも意図を感じた」というのは、桑田の真骨頂だろう。ストライクゾーンの上下左右を変幻自在に投げ分け、かつ緩急の差の付いたボールで翻弄し、最後はレインボールという山なりに大きく曲がるカーブで仕留められる。決して2球続けて同じボールは来ずに、打者が次のボールのコースを読むのは至難の業のようだ。これは若い頃からの桑田の制球力の良さのなせる業なのだろう。


 次の対戦球団エンゼルスの本拠地アナハイムは、かつてフランク・ジョーブ博士からひじの腱の移植手術を受けた思い出の地だという。日本のプロ野球選手では村田兆治が手術を受けたことで有名になり、その後桑田も同じ手術を受けた。
 それ以前であれば、投手はひじにメスを入れれば終わり、が常識だったが、村田などその後サンデー兆治として再び豪腕投手として復活している。現在でもプロ野球の引退選手ばかりで興行しているシニアリーグで140キロを超えるボールを投げ、観客を沸かせているくらいだ。桑田も、その後から現在まで、そのおかげで投手生命が延びてきたわけだ。当時から「ジョーブ博士にまかせておけばダイジョーブ」なんていうダジャレがあったとかなかったとか。


 まだメジャーに登場してたった4試合のうちに伝統のヤンキースタジアムでジーター、Aロッド、松井との対戦、イチローとの対決、そして思い出の地アナハイムへと、なんだか本当に桑田には野球の神の後光が射しているように思える。