クリス・ベノワ死去

 今日の注目キーワードのトップに上っているのだが、プロレスラーで元WWEクリス・ベノワが亡くなった。クリスなんて、プロレスファンでもなければ知らないと思うので、ちょっと意外だった。

クリス・ベノワさん死去、無理心中か

 死因についてはあえて触れるまい。ここは少し元プロレスファンの薀蓄を傾けよう。クリスの出身のカナダといえば、プロレスラー出身者も多く、カルガリーなどはかつては新人日本人プロレスラーの修業の地でもあった。今は衆議院議員馳浩などもそうで、そういえばそのときのライバルで天才といわれたオーエン・ハートは、WWEの試合登場時のアトラクションの事故で30代の若さで亡くなっている。


 クリスは修業時代に、新日本プロレスの道場に日本人の若手と一緒に住み込んだ、いわば日本出身のレスラーである。いわゆる闘魂三銃士(武藤、蝶野、橋本)や獣神サンダーライガーらとは、同じ釜の飯を食ったほぼ同期である。そういえば40歳で亡くなったのは橋本と同じ年齢である。

 当時は日本帰りのレスラーは出世すると思われていたこともあり、猪木の新日本プロレスでの修業を選んだのだろう。猪木と戦うまではデクの棒と言われていたハルク・ホーガンが、その後WWEのトップレスラーになったのはその典型だった。


 若手時代は名前のスペルからクリス・ベノイと、これも今は無き週刊ゴングなどには書かれていたと思う。1989年に東京ドームで初めて開催されたとき、実は会場に見に行っていたのだが、獣神サンダーライガーとともにマスクマンとしてデビューしたのがペガサス・キッドだった。ジュニアヘビー級らしく動きがよく、これはライガーとともに、かつての初代タイガーマスク(佐山)とダイナマイト・キッドの名勝負の再現を狙ったものだったろう。そのときは正体が判らなかったが、それがクリスだった。


 そしてその後、ホーガンと同様にWWEのスターに上り詰めることになる。ただこの頃から、日本からは疎くなったように思える。その後もWWE代表として日本のリングにも上ったこともあるが、WWEでの人気ほど日本では盛り上がらなかったようだ。


 どうも近年、かつて日本で活躍したレスラーの早死のニュースが多い。それも40代前半くらいでの訃報である。文字通り太く短くではないだろうが、プロレスラーに対する昔からのイメージは問答無用の強さとか凄さであったはずなのに、それはリング上の見せかけだけで、リングを離れると儚く散ってしまう人生なのだとしたら、なんだかやりきれない。