プロレスの神様カール・ゴッチ逝く

 プロレス人気が衰退して、また日本のプロレスを語る上での「神様」までが、とうとう亡くなってしまった。最近、古き良き時代に活躍したプロレスラーの訃報が相次いでいるが、その中でもカール・ゴッチは特別だ。語りだしたらきりがなくなるが、その気力も沸いてこない。猪木は好きだが、最も尊敬するプロレスラーといえばカール・ゴッチだからである。

「プロレスの神様」カール・ゴッチ氏死去(日刊スポーツ)
プロレスの神様カール・ゴッチ氏が死去…新日本設立に助力(サンスポ)

プロレスの神様」とまで言われたカール・ゴッチだが、これは日本だけの話であろう。アメリカでは妥協しない試合ぶりから興行を仕切るプロモーターから煙たがられ干されて、日本に流れて来たことがきっかけになったからである。


 日本のプロレスの元祖といえば力道山だが、相撲出身でもあり、空手チョップを得意とする、いわばラフファイトのスタイルが主であった。弟子の猪木がゴッチに傾倒して、試合前の「ゴッチ教室」の弟子の第1号になった。何も格闘技の素養のなかった猪木はグラウンドレスリングの基本から叩き込まれる。そのおかげで、猪木は日本人では初めて本格的なレスリングをベースにしたプロレスを身に付けることになる。後年に標榜するストロングスタイルである。


 初来日で日本人レスラーを凍りつかせたのが、ゴッチの代名詞であるジャーマンスープレックスホールド、当時原爆固めと名づけられたのも時代を感じさせる。強靭なブリッジで背後から相手の後頭部を打ちつけ、そのままフォールしてしまう。そのブリッジが決まった姿が人間架橋と言われるほどの芸術的必殺技だった。しかしゴッチは頑強なレスリングの上に、ヨーロッパ伝来の数々の技を持っていた。昔は「二千の技を持つ男」とまで言われた。実際、常にレスリングの古文書のようなものを持ち歩いていたとも言われる(藤原組長談)。そして猪木に伝授したというのが、やはりヨーロッパ伝来の技・オクトパスホールド、猪木の卍固めである。ゴッチ嫌いだったといわれる長州力のサソリ固めすら実はゴッチ技である。


 その後ゴッチに弟子入りしたレスラーは、木戸、藤波、藤原、佐山、前田など新日本プロレスの全盛期を支えた正統派のほとんどである。
 ゴッチのスタイルは、頑固、超越、パーフェクトである。その精神も、宮本武蔵五輪書を愛読していたということでもうかがいしれる。


 日本で有名になり「神様」とまで言われたゴッチだが、現役時代はドイツ人らしい妥協なきファイトで相手のよさを引き出すこともしなかったので、次第に試合から干されていくことになる。しかし1960年ごろには凄い試合があったといわれる。20世紀最大のプロレスラー鉄人ルー・テーズとのNWA世界タイトル戦である。

 当時の不敗のチャンピオンのテーズを倒すことが最大の目的であった。ゴッチはガチンコ勝負でテーズに攻め込む。しかしテーズも負けずに応戦、凄まじい戦いになったという。ついに時間切れでリング外で引き分け、タイトル獲得はならなかった。


 その戦いの結果、テーズは怪我をして入院したほどだったという。翌日、ゴッチは病室にテーズを見舞いに訪れたという。全力で戦った両者には何のわだかまりもなかった。しかしそのときテーズはゴッチに諭すように、こう言ったという。「カール、君がとことん戦いたいという気持ちは、私にもよくわかる。だが、チャンピオンが怪我をして試合に出られなくなってしまったら、次の会場で待っているファンはどうなるんだ」と。それを聞いたゴッチは、はっとして「すまなかった」と謝ったという。いい話だ。

 このあたりからゴッチは「無冠の帝王」の道を歩むことになる。ちなみに自分が物心がついた頃「無冠の帝王」という言葉を覚えたのは、ゴッチが最初である。だから自分にとっては、無冠の帝王=カール・ゴッチであり、カッコ良さの象徴である。ドイツ人だけに「プロレスのニーチェ」とでもいうべきか。


 そのルー・テーズもすでに何年か前に亡くなった。これで本当に20世紀のプロレスは終わったという感がする。少年時代に夢をくれた神様ありがとう。