「イミダス」「知恵蔵」が休刊

 自分はほとんど利用することはなかったが、いつも書店の店頭に競うように積まれていた「イミダス」と「知恵蔵」が休刊になるという。ネット版だけは継続するそうだが、もはや分厚い書籍の存在意味が失われてきている時代の象徴的な出来事のようにも思える。

さらば「イミダス」「知恵蔵」…07年版で休刊 (ZAKZAK)

もともとは自由国民社の「現代用語の基礎知識」に対抗する形で、集英社から「イミダス」が、朝日新聞社から「知恵蔵」が発刊されたものだという。どちらも20年前には100万部近くの発行があったが、今ではその10分の1近くまで部数が激減したようだ。


発刊された頃は、イミダスは「意味だす」と「アディダス」を組み合わせたものか、知恵蔵は片岡千恵蔵をもじったものかとか、タイトルからしてターゲットの年齢層を意識したものかと目を引いたが、ついぞ真面目に利用したという経験はなかった。
以前、「あなたのことが知恵蔵に載っていた」とセールスの人間から言われたことがあったが、何年か前の版だったので、ついぞどういう形で載っていたのか人違いだったのか(笑)、確認することもなかった。


書籍の内容はともかく、この休刊は20年前までとの決定的な違いである、ネットで物が調べられるようになったということを、てきめんに表している現象だろう。ネットの方では、たとえばWikipediaなどは内容的にまだまだだが、動画も含めたマルチメディア事典などの形で発展していく可能性はある。


同じようなことは、紙の辞書や百科事典でも起きている。あまり関心がないのでよく知らなかったが、今の電子辞書などは80冊から100冊分の辞書や百科事典の内容が含まれているという。中高校生の入学祝いなどに、電子辞書など贈ってもよいものかと考えているより先に、マクドナルドなどで電子辞書を使いながらテスト勉強をしている高校生などもよく見かけるようになった。紙の辞書をめくるという作業は、頭脳の成長には効果のあることかもしれないが、分厚い紙媒体の書籍をめくるという作業は、もはや図書館とか資料館のようなところでしか見られなくなる光景になるかもしれない。まあ百科事典などは、インテリアとしての存在価値は残っているのかもしれないが。


一番無駄なのはNTTの電話帳だろう。電話帳全体を見渡すことはまずありえないし、そもそも固定電話そのものを使う機会が少なくなった。必要な電話番号は携帯電話に登録されている。公共の電話番号ならネットでWebページを探せば電話番号もすぐに調べられる。

今年も家の玄関の前に、利用されることのない今年度版の電話帳を置いていった。全国の家庭に無条件で配布されていると思うと、森林保護の観点からも部数を減らすことを主張したくなる。