安倍総理突然の辞任

 参院選で歴史的大敗をして、どのみち長くは総理の座が持たないだろうとは言われてはいた安倍総理が、12日になって突然の辞任を表明した。何か、どこかでテロか大地震が発生したような騒ぎになっている。実際、同じ日にスマトラ島近辺で大地震も発生しており、ニューヨークでテロであった6年前の9・11の次の日にあたっている。


 マスコミでも、いろいろな人がいろいろなことを言っているが、どの論調でもたとえ辞任するにしても、何故このタイミングでの辞任なのかに納得できる人は誰一人いないという感じだった。それだけ総理大臣の辞任の仕方としては前代未聞ということだったのだろう。


 健康問題説だの、週刊誌で取り上げられる資金運用疑惑説だの、お坊ちゃん育ち説だのと、いろいろ取り沙汰されているようだが、一般人ならともかく、一国のトップという立場でありながら、何か重要なことが忘れ去られているような気がしてならない。全く今回の辞任は、小淵首相や古くは大平首相のように現職のまま死去したケースと同じくらいの混乱を招いている。急病で倒れたというのならともかく、国会答弁の始まる1時間前の突然の辞任表明で国会もお流れだというのだから、下衆の勘ぐりならば敵前逃亡と思われてもしかたがない。


 安倍総理個人的には、様々なプレッシャーやら批判に対して、今の世相でいうところのキレてしまったという状態なのだろうか。そこには多少の同情もあるかもしれないが、問題なのは公人としてのふるまいの部分だろう。総理大臣ほどの超越した立場でなくても、誰しも私人の部分を犠牲にしてでも、公人としての「職責」を全うしなければならない部分はある。公人としての地位が高くなればなるほど、その部分は重くなる。自分の言動の影響の範囲が大きくなるからである。


 今回の場合、自分は辞任の意志を固めているにしろ、後のもろもろの影響に思いをはせられれば、その対策をきちんと講じてから辞任表明するべきだったろう。自分の体が動けなくても、それなりの手の打ちようはある。突如の職責放棄に、味方陣営すら驚いているようでは話にもならない。テロ特措法がどうのと辞任理由を挙げているが、たとえ不利な状況であっても国会なのだから、信念に従って徹底的に議論してからやめても遅くないのではないか。別に1人だけで議論するわけでもあるまいに、それ以前に気力が失せてしまったとしか推量のしようがない。


 政策や政治姿勢が批判されるのは、政治家の宿命だろうからしかたがない。しかしそれ以前の最低限の公人としての職責を果たしていないと思われるのでは、そもそも総理大臣の職責とは何なのだという呆れしか感じられない。


 などと政治にそれほど関心がないのに、結局批判的な文になったのは、昔、安倍総理に言動がよく似ている世襲の経営者に使われたことがあるからである。3代目、お坊ちゃん育ち、きれい事を言う、他人の話は聞かない、空気を読めない、論理的な話ができない、朝令暮改、などなどの雰囲気を思い出すことがあって気が重くなるからである。その結果、結局、下の者が右往左往したり犠牲になったりする。しかし当の本人は全くそのような自覚はないのである。一経営者ならば、そんな組織はいずれ潰れるだろうで済むが、一国の総理大臣がそのようなレベルでは困る。やはり日本は、国民は一流だが、政治家は三流という伝統は変わらないのだろうか。