世界柔道・日本重量級敗戦

 珍しく柔道の話題。世界柔道で期待された重量級で井上康生鈴木桂治ともに2回戦で敗退。微妙な判定だったとはいえ、久しぶりに日本柔道がピンチの様相である。

【柔道】「最強神話」はどこへ…康生、桂治が判定に泣き敗退

 場外での微妙な倒れこみ方での判定は、シドニー五輪での篠原−ドイエ(フランス)の決勝を思い出す。だが今回も、判定そのものは日本としては納得できないとはいえ、まだ2回戦で優勝候補ともいえないだろう相手に、文字通り足元をすくわれた形である。それだけ各国とも実力が拮抗しているともいえるのかもしれない。


 柔道は日本発で本家であるとはいえ、広く言えば格闘技であり、格闘技なら世界各国で歴史は深い。柔道の技とルールや道着にさえ慣れれば、体格、体力的にも特に重量級の人材はゴロゴロいるだろう。ハングリーさもある。たとえば、開催地ブラジルなら日本の柔術が伝わったブラジリアン柔術もある。あのヒクソン・グレイシーの一族が有名なやつである。
 1964年の東京五輪以来、五輪競技になってから本家の日本はずっと各国から研究されてきただろう。昔は日本は技に優れ、外国選手は力技にばかり頼る面が大きかったから、柔道の教えの「柔よく剛を制す」が通用していたのだろうが、特に日本人選手は徹底的に研究され、その技からの防御策が錬られるようになった。防御しながらカウンターを狙い、優勢勝ちに持ち込むような作戦であろう。


 重量級は軽量級と違い、よほど実力差がなければきれいな一本勝ちは難しい。それでも井上康生などはシドニー五輪の頃は、そのわずかなチャンスで一本勝ちを奪い、本当に強いと思えたものだった。しかしアテネ五輪での惨敗のあとに消沈する姿は、まるで別人のようだった。突然辞任した安倍総理のような精神状態ではなかったか。
 その事実上の再起戦が今回の世界柔道だったはずだが、期待には応えられなかった。研究されていることは確かだろうが、体力的な限界か、精神的なもろさだろうか。下手をするとこのまま引退になりかねないようである。


 1993年以来の重量級メダルなしというのは、小川直也がメダルを獲れなくなって以来ではないか。小川もバルセロナ五輪で銀メダルで終わり、世間からバッシングを受け、精神的にも弱くなっていった時期でもあると思われる。しかし山下、斎藤、小川と続いた時代の重量級は強かった。それだけに勝って当たり前と思われていただけに、負けると非難も強かったのである。
 現在は負けても、世間はそれほどでもない。世界も強くなったのだろうという認識くらいである。ただ柔道界としては、大相撲と同様に、日本人が強さを示して伝統を守らなければ、プライドが許さないだろう。


 最近の有望な日本人選手の人材は多いのかどうか知らないが、国際大会に限っていえば、同じ選手が代表をやっている期間が長すぎるのではないだろうか。いくら強い選手でも長く代表にいれば、相手の国にも徹底的に研究され尽くす。実力的には上であっても、相手も一発勝負のトーナメントでルール上で勝つために、いろいろな秘策を弄する余地が大きくなる。同じ代表選手が何回も五輪に出るようでは何年間も研究されることになる。本当に強い選手にはそれでも勝てと言うのだろうが、リスクが大きくなる。井上、鈴木が敗れたのも、単なる不調やミス、誤審というだけの原因ではないだろう。


 そこで日本としては人材は多いのならば、五輪ではサッカーのU-22ではないが、代表はなるべく新人選手に譲った方がよいのではないだろうか。1度金メダルを獲ったような選手は代表を勇退させて、何度も代表に選出する必要はない。むしろクセまで研究され尽くして、2匹目のドジョウは難しいと考えた方がよい。そう思えるのは、小川が19歳で世界を制したときは補欠として急遽出場した結果だったからである。小川の才能もさることながら、相手からすれば無名の小川は全く研究対象になっていなかっただろう。


 たとえば「五輪で4個目の金メダルを」というのは個人の記録としては立派だが、その間、国レベルとしては若手選手は伸びずに、その後しばらくは低迷の時代を迎えるようになる気がしてならない。もっとも世界に通用するのはその人しかいないというのであれば、いつまでも代表でも仕方がない。