mixiはNifty-Serve化しているのか?

 mixiに対してなのか、SNS全体についての批判なのか、よくわからない批評がある。何もパソコン通信時代のNifty-Serveに例える必要もないと思うが、実際のところはどうなのだろうか。

NIFTY-Serve化するmixi (@IT)

 mixiに参加している年代の人達の多くは、パソコン通信時代など全く知らない人が多いだろうし、ひょっとするとダイアルアップでインターネットをやっていた経験もない世代の人も多いかもしれない。また、PCやネットを使い出したときの時代背景も全く異なる。それを比較してみてもしかたがないと思える。Nifty-Serveパソコン通信が廃れたのは、クローズドなシステムだったからではなく、機能性が高いインターネットにその役割を取って代わられたからである。ポケベルが携帯電話に取って代わられたようなものである。


 ただインターネットブームの初期の頃、「あなたはインターネット派かパソコン通信派か」という当時でさえ荒唐無稽と思えた議論はあった。インターネットは情報が分散していて、情報に信頼がおけないが、パソコン通信は情報が集中していて信頼がおける情報が多いからパソコン通信派だ、などといった議論がなされていた。いやもっと言えば、電子メールは信頼性が置けるが、Webは眉唾モノなので、インターネットで確実なものは電子メールだけであり、Webが今後発展するかどうかは疑問だ、などという大真面目な論評まであった。今どき、そんなことを言い出したらアホかと思われてしまう。それだけ世の中の認識も変わったということである。


 パソコン通信についても、その時代に果たした役割というものがあったわけで、ネットで行うコミュニケーションの先駆けになったことは確かである。たとえば、顔文字文化などはパソコン通信で生まれたもので、その後の掲示板や携帯メールへと繋がっていく。
 mixiについては、オープンな掲示板に対する一種の反動である一面もあるし、SNSに関しては自分はグループウェアの一種の再来だと思っている。インターネットの中のイントラネットと見てもよいかもしれない。mixiは対象が世間一般、SNSとは組織の中のシステムのあり方であるとも言える。mixiが別のものに取って代わられることはありうるだろうが、それはクローズドだからという理由からではないだろう。


 昔話との比較やたとえで言うのなら、コンピュータの発展の歴史はずっと集中化と分散化、オープン化とクローズド化を繰り返してきたとも言えるだろう。
 かつてのメインフレームのように機能や情報が集中したクローズドシステムから、PCやネットのような機能が分散化して情報がオープンになったシステムになった。ところがセキュリティや情報の質を求めるグループからは、ネットの中の囲い込みの集中とクローズド化が起き始める。それがグループウェアイントラネットSNSである。現在の登録が必要なネットサービスは、すべてクローズドなシステムであるとみなしてもよい。


 現在のネットでは、技術的にはどのようにでも構成することは可能である。すべてがオープンになることも、すべてがクローズドになることもない。ネットに参加する人や組織が増えてくれば、現実社会と同じで形態は複雑になってくるのだから、流行のはやりすたりはあるものの、いろいろな存在形態はありうるだろう。mixiはある意味、ネットの中の世間の村文化だと言えるのかもしれない。何かと刺激が多い都会が好きな人もいれば、顔の知れた友人同士だけの方が安心できる人もいるだろう。都会(分散・オープン)、村(集中・クローズド)かもしれない。ネットの中にも都会もあれば村もある。学術的な場所もあれば、危ない場所もある。人間社会そのものなのだから、クローズドシステムであるというだけで、廃れてなくなるということはないだろう。