いまどきのスーパーコンピュータ

 NECのスーパーコンピュータが現時点で世界最高速を記録したそうである。若かりし頃はスーパーコンピュータというものに憧れたものだが、ネットが普及してからはそうでもなくなった。

1コアで102GFLOPS NEC「SX-9」発表 (ITmedia)

 コンピュータの処理の速さを表すのに、かつてのワークステーションなどでは、1秒間に処理できる命令数のMIPSであるが、スーパーコンピュータでは浮動小数点演算のFLOPSで性能を表すものである。
 コンピュータを使う人が増えたとはいえ、スーパーコンピュータにかかわることができる人は、昔も今もごくわずかな人だけである。特に莫大な科学技術計算の目的に特化している。20年以上前にはCPU時間1秒千円などという時代もあった。しかし当時のスーパーコンピュータクラスならば、ある条件下では現在のPCの方が速いということになるだろう。


 しかし使用目的の違いといえるのか、せっかくそれだけの能力を持っているはずのPCでも、やれWindowsなんとかの起動だ、WordだExcelだとやっている分には、全くそんな可能性は感じされられない。PCではないが、Playstation 2 が出たときにも、ミサイル開発にさえ使われる恐れがあるようなことが言われていた。普通のPCでもかつてのスーパーコンピュータのポテンシャルを持つようになったことから、コンピュータに憧れた頃のスーパーコンピュータへの関心が薄れたのである。それよりは、PCを多く並べて何かの問題に特化させた計算なりをやらせた方が、よほど可能性の高いことではないのかと。それがネットワークの関心へと繋がっていったようにも思う。


 ところでスーパーコンピュータといっても、早い時期から日本では単体のプロセッサ(単一コア)での最高速を目指し、アメリカなどでは現実的に複数のプロセッサの並列で速度を出せればよいという路線に変わっていっているようである。日本の方が純粋路線で、アメリカは邪道という意識があるかもしれない。PCのCPUにしてもシングルプロセッサでは、もう限界が来るとずっと言われてきたが、それでもクロック数と集積度が伸び続けてきた。シングルプロセッサではいずれ限界がくるのは当然だろうが、今となればたいした問題ではないと思える。


 もっと身近なPCを使って、スーパーコンピュータで扱うような問題を解くようなことに匹敵する活用法を考え出すことの方が今の関心事である。OSがバージョンアップした、アプリケーションが重くなったなどの度に、古くなったPCを特に壊れてもいないのに破棄せざるをえないようになる度に、そう思えるのである。