「正解はCMのあと」はTVの限界

 久しぶりに世間話らしい話題に便乗しよう。昨今のTVのCMの演出方法に対して、視聴者が不愉快に感じているという大学の研究室の調査結果がある。どういうアンケート内容か、先に「不愉快」という先入観のもとの誘導尋問的な感もしなくもないし、母集団が慶應の学生だけというのも、学生の卒研程度の調査研究という感じもする。
 ただ、はてブのコメントの方が核心を突いているようで面白い。誰もがCMに対してというか、民放番組の構成の仕方にイライラしていることは確かなようだ。

「正解はCMのあと」は逆効果 視聴者86%「不愉快」(asahi.com)

 スポンサー様あっての民放番組であるし、視聴者よりもまずスポンサーの意向が大事なのが民放の本音であるだろう。いかにスポンサーのCMを目立つようにタイムリーに入れるかに腐心することは当然だろう。だが、昔からCMの時間は「トイレタイム」と言われるように、誰もCMを見たいためにTVの電源を入れる人はいない。CMは邪魔物以外の何者でもない。視聴者からすれば、いかに見ずに過ごすか、録画でもしようものなら、いかにCM部分をカットするかを考える。リアルタイム中継中にCMが入ることなど最悪である。同じ中継をやっているなら、そういう時こそNHKにチャンネルを切り替えてしまう。


 けれども、NHKは有料だからCMなしなのであって、CMがあるから民放の視聴がタダであることは自明である。これは無料のWebサービスについても言えることではある。
 しかしそのCMが明らかにコンテンツの内容にまで影響して出しゃばってくると、見る方が不快に感じてくることは明らかである。「正解はCMのあと」やドラマのクライマックスシーンの瞬間にCMに切り替える手法がそれである。見る方もそのパターンに慣らされてしまって、どうせここでCMが入るんだろうと予測はつく。ただ困るのは、トイレタイムの時間の長さである。トイレに行ったのはいいが、その間にCMが明けて肝心の場面が終わっていた、ということもしばしばある(笑)。どうせなら「正解まであと何分」と表示してほしいもんだ。


 自分がイラつくと感じたのは、朝まで生テレビの司会者の田原総一郎の「CM行きます」である。ただでさえ、田原の要領を得ない議論の混ぜっ返しにはイラつくのに、それに加えて出演者の議論が高じてくると、水を差すかのようにすぐにこれである。5分か10分も聞いていれば、すぐにこういうパターンで、視聴者には何の話題であれ不快感しか残らないように思えて、朝まで生テレビなどは見ることがなくなった。やたら出演者の肩書きばかり強調しているようだが、その割には人に聞かせる程度の議論の展開じゃないだろうということである。まともな出演者なら、むしろイメージダウンになるのではないのかと思えるほどである。


 いずれにしろ、演出の仕方が下手とも言えるのだろうが、双方向メディアの発達してきた今となっては、単方向メディアの原理的な限界を表しているとも思える。「まだテレビなんか見ているの?」という比較的若い世代の人が言う意見がそれを言い当てているような気がする。年寄りの方が、まだテレビが面白いと思えた時代のトラウマ?を引きずっているのかもしれない。