Javaに影響を与えるAndroid

 発表以来、各所で話題になっているGoogleAndroid。新製品のお目見えなどならわかるが、事実上のオープンソースプロジェクトの発表だけで、一般にもこれだけ話題になることも珍しい。実物がないだけにアナウンス効果だけで何が話題なのかもわからない人も多いと思われる。
 あのGoogleだからということもあり、期待がある反面、何らかの懸念を表明する人も必ずいるものだ。それがAndroidのベースとなるJavaの互換性についてのようだ。

独自のJavaを使用するグーグル「Android」で広がる波紋(CNET Japan)

 Javaとはもともと、Javaアプレットなどのクライアント側の技術、Javaサーブレットなどのサーバー側の技術、そしてコンパクトな携帯向きの技術がある。ここで問題となるのは当然、携帯向きのJavaなのだが、すでに携帯電話には主にアプリケーションにJavaが使われている。そのコアとなるJavaバーチャルマシンにGoogleの独自の拡張が加えられているという。既存のJavaの枠組みよりも、自由な開発ができるようになっているという。オープンなJavaよりも、もっとオープンなJavaにしたということだろうか。
 そこで懸念されるのが、自由な開発ができるようになった結果、携帯用のJavaにさらにいくつもの方言ができてしまうのではないかということである。Javaの本家であるSunなども心配しそうではある。


 そうした懸念もわからないことはないが、どうしても思い出されるのがMicrosoftとの100% Pure Javaをめぐっての訴訟沙汰である。結局、SunはMicrosoftから和解金を引き出すことに成功したのだが、同時に100% Pure Javaという概念自体、あまり意味のないものとなった。Microsoftの場合、Windows向けに独自仕様にしてしまったのだが、Windows自体がオープンではないのでこの拡張には確かに問題があった。


 しかしオープンソースを前提とした開発では、たとえばLinuxに多くのディストリビューションが存在するようになったとはいえ、それほど大きな問題は生じていない。いくらディストリビューションの種類が増えようとも、結局はユーザや開発者に受け入れられるものは絞られるからである。これが閉鎖的独占市場と異なるところであると思われる。各社、互換性のない独自仕様OSの上のアプリケーションを開発していた頃に比べれば、「自由化」の方がはるかにマシである。ただ、自由なだけにそれらの間で、これからは淘汰も起きていくということである。無際限に方言だけが増えていくとは考えにくい。


 いずれ携帯の大きな構図は、Android連合軍 vs iPhoneを中心に回っていくことになるのだろうか。国内的にはTronとかはどうするのか。そういう中、ドコモの「バリュープラン」のお誘い郵便が届いている。日本の携帯の夜明けは、まだまだ遠いのか?