アーサー・C・クラークが死去

 アーサー・C・クラークといえば、子供の頃にテレビの洋画劇場で見た映画「2001年宇宙の旅」が強烈な印象として残っている。2000年を超えた現在にあらためて見たとしても、決して荒唐無稽のものには見えないように思う。

SF作家アーサー・C・クラークが死去 (ITmedia)
「2001年宇宙の旅」アーサー・C・クラーク氏が死去(YOMIURI ONLINE)

 「2001年宇宙の旅」を見たのは、コンピュータのことも何も知らない子供の頃だから、全編にわたって不可解な、怖い映画だった記憶が残っている。ある意味、トラウマのようになっている。

 映画のストーリーは、冒頭、月面から異常な電波が発せられている場所を調査に行くと、遺跡の碑のようなものが見つかる。古代のロゼッタ・ストーンのようなものであったように思う。最後まで意味はわからないのだが、そこにいろいろなものが暗示されていることを覗わせる。そして勇壮な「ツァラトゥストラはかく語りき」の音楽が流れる。後にこれがクラッシックで有名な曲だということも知る。
 そして目的ははっきりしないが、宇宙の探査に宇宙飛行士はみな冷凍休眠のようにしてコンピュータ制御で目的地まで出かけるのだが、コンピュータが意志を持って反乱し、ボーマン船長以外は休眠したまま殺されてしまっている。反乱を起こしたコンピュータの機能を停止させるために、ボーマン船長の孤独な戦いがくりひろげられる。


 このとき人間とコンピュータが対話するという未来図が描かれている。これは映画が作られた当時の人工知能の未来予想である。そのコンピュータの名前は、HAL9000という。これも後に知ったように、HALはIBMの1文字ずらしの暗号(シーザー暗号)であった。最後は宇宙船ごと、光の中に突入していくのだが、ボーマン船長の運命はどうなったのかは全く不明のままのような終わり方だったと思う。


 とにかく、結果的にいろいろなことを初めて知るような映画だった。今になってみれば当時人類が初めて月面に降り立った時代の宇宙船の描き方にしても、暗号も人工知能もきわめて未来を暗示する内容のものが多かった。SF映画史上の大作と言われるのも全くその通りだと思う。


 映画で描かれていたコンピュータはまだPCなど存在しなかったメインフレームとして描かれていたということはあるが、厳密には映画の「2001年・・」の方が現実よりもはるかに進歩しているように思える。また20年くらい前に、続編の「2010年宇宙の旅」も公開され、これは生で映画を見にいったが、やはり不可解であり、「2001年・・」を知らない人にはもっと訳の分からない内容だったと思う。いずれにしても、内容というより、やはり自分の中では、何も知らなかった「2001年・・」のときのインパクトを超えることはなかったのである。いずれ機会があれば、あらためて「2001年・・」を見たい思いはある。