コンビニ24時間営業の是非

 地球温暖化問題とCO2削減は、世界的なトレンドになっている。一方で原油高とその影響による食糧危機があるわけだが、庶民ライフラインともいえるコンビニの24時間営業にまで「自粛」を促すような議論も出てきている。ガソリン税の一時的騒動といい、何かおかしい気がする。

石原知事がコンビニ24時間営業批判…業界から反発も(ZAKZAK)

 夜中遅く帰ることがない人や立ち寄ることがない人にとっては「コンビニが24時間営業をする必要もないのじゃないか」ということになるのだろう。テレビの深夜放送も似たようなものかもしれない。それらの必要・不要の議論はあってもよいとは思うが、何でも地球温暖化、CO2削減と短絡的に結びつける考えには反対である。政治に影響力のある人間の発言であればなおさらである。春先のガソリン税の論議のときも、首相が「CO2のこともあるからガソリン税はあった方がいい」みたいに話をしていたのは、それは議論のすり替えだろうと呆れたものだ。石原知事の「コンビニの深夜営業が犯罪の要因にもなる」というのも、風俗営業の次にコンビニをやり玉に挙げる議論のすり替えだろう。


 現実的に社会全体の消費電力量を減らす協力の一環を、というなら、鉄道みたいに深夜2:00から朝6:00くらいはコンビニを閉めるくらいが妥当なところかもしれない。セブンイレブンの名前は、もともと朝7時から夜11時まで開いていたことに由来するわけだから、また昔に戻るようなものである。ところが電力会社に言わせれば、昼間のエアコンの電力需要こそ問題なわけで、深夜電力はむしろ使ってほしいくらいなはずである。


 日本人はどうも大きなことに目が行かず、身の回りの小さなことばかりを、神経質に自粛したり規制したりして、それで事足りると思っているフシがある。古くはオイルショックの時の省エネブーム、昭和天皇が入院していた頃のイベントなどの自粛ムードもそれに近い。そしてそれが全体に貢献していることのように思い込む、自己満足してしまうのだろうか。昔は、森林資源を守るために、割り箸を使わないようにしようという運動などもあった。外食するときもマイ箸を持ち歩けというわけである。最近は同じ論理で、某所でトイレのペーパータオルを使わないようにしてハンカチを持参しましょうというのも見た。子供の教育にも、こんなことばかり取り入れられているのだろうか。


 そんなことを言い出したら、人間の活動そのものが無駄なことだらけで、CO2を排出しているだけである。石原知事が熱心な五輪だってそうだ。空気を吸ってCO2を排出していること自体を自粛すべきだということになってしまう。後期高齢者でなくとも、これでは早く死んだ方がマシという話になってしまうだろう。人間の数が増えすぎたこととその活動が、本当に地球温暖化に悪影響を及ぼしているのだとしたら、それはもう小手先の個人の活動を自粛した程度では、もはや手遅れのことだろう。その程度で地球温暖化が防げるという方が安易な考え過ぎだろう。


 そもそも政治が関与するというなら、地球規模の無駄である無益な戦争をやめる、乱開発などで森林や海洋の自然が失われることを食い止める、あるいは再生させることなど、もっと大きなことに取り組むべきであろう。そしてそのためには、新しい技術を開発することに力を注ぐことも必要になる。人間の叡智の集めて、この将来にわたる問題に取り組むべきで、庶民にケチケチと呼吸するのも憚れるような生活を促すことではないと思える。