北島世界新で五輪2連覇

 日本期待の金メダル大本命の北島が、期待に違わぬ泳ぎで100M平泳ぎ五輪2連覇を驚異の世界新で達成した。新聞やNHKニュースでもトップで報道されるなど、国民的にも一大事の快挙であった。


 いくら金メダルが期待できるといっても、実際にその通りに実現することはきわめて難しい。むしろ期待がプレッシャーとなって、本来の実力が発揮できないままに終わってしまったというケースはしばしば見てきている。かといって五輪で結果など関係なく「五輪を楽しんできます」などと言うだけでも、批判を受けることになる。代表である以上、その強化費や遠征費には国民の税金も使われているだろうと、特に最近のご時勢では言われかねないからである。


 北島は有言実行であった。自信の言は、むしろ自分にあえてプレッシャーをかけて五輪に臨む覚悟なのではないかと思えるほどだった。しかしアテネ五輪以後の道のりは、決して平坦ではなかったようだ。それを乗り越えて、五輪2連覇を達成できた原動力はなんであったのか。


 ひとつはライバルの存在である。アテネ五輪で金メダルを獲得したとはいえ、その後はライバルのハンセンに世界記録も書き換えられ、世界のトップの座は明け渡したどころか、日本国内でも破れた時期もあった。このライバルの存在があったからこそ、復活へのモチベーションを保てたのだろう。またこれはハンセンも同様であったと思える。レース直後に北島に「すばらしい泳ぎだった」と声をかけているだけでも、そのライバル関係が窺いしれた。今回の五輪にはコンディションが合わなかったようだが、それでも59秒台を出しているのだから、それだけ世界レベルも上がっていたということだろう。


 そして一心同体のコーチの存在である。再び五輪に標準を合わせて復活できたのは、先輩でもあるコーチが二人三脚で支えたことがあるだろう。それを通じて、北島自身が精神的に強くなったことも大きかったと思える。五輪の結果だけを期待して無責任に応援する人は多いが、不振や精神的に厳しい状況のとき、精神および技術面でも的確なアドバイスをしてきたコーチの存在は、大きくクローズアップされてくることだろう。


 もうひとつは、五輪土壇場で沸きあがった新開発のスピード社の水着レーザーレーサーの存在である。登場する各国の選手の水着を見ると、予想通りみなスピード社の水着ばかりであった。胸にspeedoのロゴばかりであり、アメリカはあえて水着にペイントをしていたが、国によってはロゴを消した跡があるところもあった。
 speedoの水着を着ればすぐ記録が出るような論調もあったが、実際には水着との相性が合う選手とそうでない選手に明暗が分かれたようにも見える。これは個人の泳法にもよるのかもしれない。短期間であったが北島は水着と相性が合い、ハンセンは合わなかった面もあったようである。北島の前人未踏の58秒81の驚異的な記録は、その相性が合った結果の面もあっただろう。


 今回の記録はアテネ五輪時よりも約1秒も記録を縮めたことになる。100mでは驚異的なことである。36年前のミュンヘン五輪で、同じ100m平泳ぎで金メダルを獲得したときの田口信教の世界記録は1分4秒94である。その当時からは6秒も縮まったことになる。五輪水泳2連覇という日本での歴史とともに、この世界記録は五輪の歴史に刻まれるものとなるだろう。