ブログの未来はどうなる

 電子メールの未来はどうなると考えたくなるが、すでにブログの先行きも懸念している向きもある。それこそ杞憂というものかもしれない。

ブログの未来はどうなる--
新しいコミュニケーション手段「ライフストリーミング」(ITmedia)

 すでにブログは著者が多くなりすぎて、後発のブログだと、なかなか読者の獲得が難しくなっているとのことである。あるいは読むにしろ「読み手は文章をざっと見て、次に移るだけ」になっているそうである。


 しかし、そもそもネット全体からのブログ読者の獲得だけがブログの目的でもないだろう。確かに商用サイトや広告・宣伝を目的としたブログならば、ページビュー(PV)やユニークユーザ(UU)の獲得に血眼になるだろう。それは何もブログに限ったことではなく、SEOに躍起になっている普通のWebページでもそうであるし、チャンネル数の多くなったテレビの視聴率と同じ発想である。


 また読者が付くといっても、ほとんどが知り合い同士だったりで、子供の「交換日記」とたいした変わらない場合も多い。読者が多いといっても、それはブログ以前に別のことで有名人である場合が多い。そういえば、最近あのホリエモンのブログが再開されたという。この人はブログの初期の頃に「ブログの登場によって、ITもセカンドステージに入った」というようなことを言っていたと思う。以前はWebページやホームページといっても、HTMLなど理解できる一部の人しか情報発信できなかったものが、ブログによって誰でも容易にできるようになったので、それだけ情報の量と質が格段に上がってきたというわけである。近年のネット情報の傾向を見れば、一理あると思える。


 その後、SNSやらWikiも登場してくるわけだが、ブログの経験による「誰でも参加できる」意識は受け継がれているように見える。一般のWebサイトの中でもスタッフのブログは定番のサービスの一部になったように見える。

 では、ブログはこのまま進むかといえば、そうではあるまい。どんなサービスにも問題点はあるし、メールのスパムのように、昔はなかったものが現在では当たり前のようになってしまった問題点もあるだろう。


 1つは「ブログの孤立化」であるという。ブログの書き手が増えた結果、読者が付かないブログが増えることである。これは情報量が増えれば当然で、道端でいきなり演説を始めたからといって、サクラ以外、どれだけの人がわざわざ足を止めて演説を聞くのかということだろう。


 孤立化の1つの原因としてはブログの「話題の陳腐さ」もあると思う。自分自身の日常の話題というものはよく知られた有名人でもない限り、誰も関心を持たないだろう。とすれば、他人でも関心を持つ共通の世間の話題、ネット上の話題を扱うことになる。そうなると、どうしてもマスコミなどからの2次情報にならざるをえない。大きな話題ほど、多くのブロガーがコメントすることになるので、誰かが言っていそうなきわめて陳腐な話になる。といって、あまり目立たないマイナーな話題ばかりにすれば、関心を持つ人が激減する。群衆の中で孤立するか、辺鄙なところで孤立するかだけの違いである。


 2つ目の問題点としては、ブログの特徴としての時系列の問題がある。自動的に日付けが振られるので、どうしてもその日の話題に意識されがちであるが、アイデアを醸成するためのツールとして考えるならば、その日にひらめいたということなのであって、特定の日付はあまり問題ではない。むしろカテゴリーの内容でとらえるべきなのだが、著者にとっては覚書きのようになるだろう。
 その時系列を見直すような試みの1つに「ライフストリーミング」というものがあるという。1日の中でも時間によって柔軟に更新可能なものらしいが、有名人の1日ならともかく、業務日誌とかイベント報告的なな使い方ができるのだろうか。その評価はまだあまりよくわからない。


 3つ目の問題点としては、コミュニケーションの問題である。ブログを独立した内容とするか、リンク、コメント、トラックバックなどを含めて他とのコミュニケーションを前提としたものとするかである。「日記」という意味合いなら本来は独立したものである。そうなると誰にも読んでもらえないので、初めから他人とのコミュニケーションを設定する。たとえば他人へのブログへのコメントに、ブログ本文よりも長い文章で議論を仕掛けたりする人がいる。それだけ長い文章が書きたければ自分のブログに書いてトラックバックすればよさそうなものだが、そうなると誰にも読んでもらえなくなる。そこで勢いブログ荒らしみたいなことをするわけである。有名人のブログへのコメントなどにしばしば見られることである。そうなるとコメントを寄せられた方もコメント禁止としてしまい、結局孤立したブログと変わりがなくなる。コミュニケーションを求める人はSNS的な方向に行った方がよいということになるかもしれない。


 いずれにしてもユーザが増加すれば、いろいろな立場、発想の人がいるので問題も増えてくるのは当然であり、新しい要素や発想が加わったサービスも出現してくることだろう。それは懸念するには当たらない。スパムブログなどはともかく、またフィルタリングも必要だろうが、もしゴミのようなブログ情報が増えて迷惑だというなら、それは「消費者がうるさい」のように根本的に民主主義を否定する議論でしかないだろう。