柔道・石井慧と小川直也の関係

 北京五輪柔道で、不振の続く日本代表の中で、日本柔道の最後の砦を守った形になったのが100キロ超級金メダルの石井慧である。おや?と思ったのが、決勝で勝った後にわかる人にはわかるが、石井は確かに「ハッスルポーズ」をやっていた。茶目っ気でやるにしては場面がシリアス過ぎるし不思議に思っていたが、やっとその疑問が氷解した。石井と小川直也の関係が明らかになったからである。どうやら石井の金メダルの陰に小川の存在があったようである。

小川、石井の金メダル頂きます!/柔道 (SANSPO.COM)
石井、金あげちゃう!小川道場へ寄贈/柔道 (SANSPO.COM)
石井しゃべりも“黒帯”でもTVなし (nikkansports.com)
金メダリスト石井慧にストーカー疑惑が..(livedoorスポーツ 8.18)
オーちゃんの不定期ブログ (小川直也ブログ)

 石井は、小川の主宰する小川道場にも通う小川信奉者だったのである。あのハッスルポーズは世話になった小川に対する感謝の念から思わず出た行動だったようだ。古くからの小川ファンとしては、これは大変嬉しい限りである。

 自分のブログにもたびたび登場してくる小川であるが、昨年にも小川のことをこう回想している。

小川を初めて見たのは、ちょうどテレビで柔道世界選手権の決勝をやっていたときだった。まだ明治大学在学中の19歳のときで目はギョロっとヌボーッとして、相手よりもしきりに監督やコーチの指示の方が気になるような素振りだったが、余裕で優勢勝ちだったと思う。解説していた山下泰裕氏がしきりに「たいしたもんです、たいしたもんです」と連発していたのが印象に残った。山下引退後に現れた柔道界の巨星だったと言ってもよい。何せ、高校時代から柔道を始めて、たったの4,5年で世界制覇をしたことになる。いかにその格闘技センスに優れていたかということである。(2007-06-15記)

 両者は、ともに若くして柔道の頂点に立っている共通点がある。石井が小川に引かれるものがあったとしても不思議ではない。
 国士舘大学に入学した石井が、明大に出稽古に行ったときに、明大出身の小川が指導に来ており初めて出会った。そこで小川と意気投合した石井は、小川道場にも通うようになる。そこに飾られてあった小川のバルセロナ五輪の銀メダルを金メダルに置き換えることを約束する。小川に「一本勝ちより勝つ柔道をしろ」というアドバイスをもらい、壮行会も開いてもらうほどの関係だったという。確かにインタビューの中で石井は「どんな形でも勝ちに行く」と明言していた。きれいな一本勝ちばかりが日本柔道には期待されがちだったところに、やや異端的な発言にも思えた。しかし背景に小川のアドバイスがあったとすれば納得がいく。金メダルを逃したことへの当時の小川に対する世間の風当たりからすれば、求められるものは結果だけであることが、身に沁みているからであろう。


 そして北京五輪では、内柴を除き男子柔道は次々に破れ、鈴木桂治まで1回戦敗退になる始末で、日本柔道の威信が石井だだ1人にかかることになった。「きれいな勝ちにこだわる必要などない」という小川の苦い経験からくるアドバイスによって、石井はある程度精神的な余裕を持てるようになれたのかもしれない。いや、格闘家としての本能で戦う精神状況になれたのかもしれない。「自分は野獣ですから」と五輪前に言っていた精神状況とはこうしたことだったかもしれない。

 決勝後「五輪のプレッシャーよりも斉藤監督からのプレッシャーの方が大きかった」と語っていたが、それこそ負けたら腹を切れくらいの覚悟を迫られていたことだろう。しかしプレッシャーばかりでも勝てるわけがない。尊敬する小川の、柔道時代とプロ格闘家時代の経験からくるアドバイスは、重圧がかかる石井を精神的な面でも支えてくれるものだったかもしれない。


 格闘家志向の石井は、いずれヒョードルとも戦いたいという意向も持っているようである。PRIDEで小川が破れた相手でもあるが、ヒョードルは柔道修業時代には、小川は憧れの存在だったそうである。小川には格闘家が引き付けられる何かがあるのだろう。40歳になった小川にも、後輩に刺激されて、まだIGFでひと暴れをしてくれることを期待している。