日本のケータイはガラパゴスか

 どうもPC中心の考え方の自分としては、ケータイは初期の頃から苦手感が強いのだが、それは小さいケータイをタッチするのが苦手だからということだけではなく、日本のケータイというもののコンセプトが理解できないかららしい。

日本のケータイはガラパコス化からの脱却へ (CNET Japan)
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スマートフォンより日本のケータイの方が使いやすい」などという言葉を聞くと、PCの経験の古い人間としては、かつての「IBM PCよりはNEC 98の方が使いやすい」だの「インターネットよりもパソコン通信の方が充実している」、「Webというものは眉唾ものでインターネットはやっぱりメールが中心である」などという名の知れた影響力のある人がまことしやかに語っていたようなことを思い出す。年月が経てばどうせ誰もが忘れてしまって、ただの笑い話になってしまうのだろうが、聞いた当時に強い違和感を覚えた記憶があるから思い出すわけだ。


 日本のケータイの国内でのまことしやかな評価もそれに似ている。それが日本の現在のケータイ市場の世界での孤立化を生んできたのかもしれない。それを表現して鎖国どころかガラパゴス化であるという。

 日本は技術力は高いのだろうが(これも神話にならないことを願う)、大きなコンセプトの部分で失敗しているために結局、世界に追随しているだけに見える。それも表向き批判しつつも追随せざるをえないというところが情けない。スマートフォンにしても世界のトレンドなのに、iPhone憎しかソフトバンク憎しかでそれを否定してみせ、一方で独自にスマートフォンに移行しようとしている。iPhone対抗も荒削りとはいえ完全オープンソースAndroidであることは確実だろうが、これの対応にも苦慮しているようである。どこかは出すだろうが、なるべく国内ローカルに通用するように出すことになるのだろう。


 結局、ケータイのキャリアにしろ機器メーカーにしろ、ケータイをケータイだけでしか考えられないからなのだろう。iPhoneの背景にはMacintoshありiPod+iTunesありであって、その中で考えられなければならない。お財布機能があるかどうかが問題になるのではない。同じようにAndoroidにしても背景にはGoogleの膨大なネットサービスへの携帯対応が存在するのである。


 もっと言えばケータイの料金体系はネットは使うなと言っているようなものである。あんなダイヤルアップ時代のときの料金体系ではiPhooneもGPhoneもあったものではない。だから個人的にはケータイは苦手なのである。