大相撲八百長疑惑訴訟

 こんなことでわざわざ国の税金を使って裁判をやっているのかという気もする。週刊現代八百長疑惑を取り上げ、それを日本相撲協会名誉毀損で告訴した形の裁判である。大相撲は大麻問題や新弟子の死亡事件などの方がよほど問題であり、そちらをはっきりさせるべきであろう。朝青龍問題やら八百長疑惑など問題にもならないと感じる。

「八百長ない」を連発 無気力相撲との差にはしどろもどろ..(MSN産経ニュース)
大相撲の「八百長」疑惑「あいまいでいい」という声も(J-CASTニュース)

 八百長の取引で金が動いたなどといっても、それは相撲部屋内部だけの話であり、それで誰か第3者が被害を蒙ったというわけでもあるまい。仮に真剣勝負だと思って見ていたのが八百長だったので精神的苦痛を受けた、金を返してほしいと言うのなら、それは観客が裁判を起こせばよいものであろう。また週刊誌などは、あらゆるジャンルであることないことを名誉毀損スレスレで暴露して読者の関心を引いて週刊誌を買わせるということを生業としているから、どっちもどっちという気がする。
 はっきり言って、吊り(釣り?)広告の衝撃的な記事タイトルを見て関心をもって週刊誌を買ったら、根拠もない推測記事ばかりで詐欺に遭ったようなものだ、金を返せということも成り立ちそうだ。


 長年、プロレスファン、猪木ファンをやってきた身としては、この大相撲の八百長疑惑問題は滑稽としか思えない。むしろ自分は八百長論戦は得意である。しかしプロレスは八百長だということで裁判になったという記憶はない。プロレス八百長は社会に認知されているということなのだろうか。またそこまで無駄な裁判までやるというなら、そんなことこそ、いっそ国民だけの裁判員制度でやってはどうか。せいぜい相撲に詳しいデーモン小暮閣下とかやくみつるとかを含めてやっていればよいことだろう。つまり言いたいことは、君たち、もう少し大人になりなさい、ということである。


 プロレスなどは力道山の時代からヤオだと言われていた。猪木の現役のときの試合では、モハメドアリ戦以外はみなヤオだったと猪木に近い元レフェリーに暴露されたこともある。そんなこんなもあって近年、K-1やPRIDEでプロレスラーが負けることが多かったことで「それ見ろ、プロレスラーは弱いからヤオをやっている」と思われた。相撲出身でも近年の曙の格闘技戦での負け方は著しく、すっかり相撲は弱いというイメージになってしまった。そこにこの八百長疑惑であるから踏んだり蹴ったりであろう。


 猪木に関していえば、アリ戦だけが真剣だったというならそれは凄いことだと思う。自分は子供の頃、アリ戦を60分のも間、緊張したこう着状態が続いた試合をかたずを飲んで見ていたが、世間は「世紀の凡戦」と八百長まがいの酷評だらけだった。唯一、当時のガッツ石松だけが「いや、両者が真剣になればあんなものです、あんなものです」と真顔で話していたことに感激したものだった。それ以来ガッツ石松が好きになった。この人はただのお笑いの人ではない、やはり格闘技のわかる人なのだなと。


 自分のもっとも好きな試合は猪木vsビル・ロビンソンの当時「夢の対決」と言われた試合である。シナリオは最強の挑戦者を迎えての猪木のタイトル防衛であったろう。しかしこの試合は60分一瞬も目が離せない、すばらしいプロレスの攻防だった。試合の途中で、もうどちらが勝っても負けてもどうでもよいという気持ちになった歴史的名勝負だった。プロなのだから、もともと勝敗はどうでもよいのである。問題はいかに観客を魅了するだけの試合ができるかである。そしてこれは両者が本当に強くなければ実現できない。
 その相手だったロビンソンは晩年の今はレスリングコーチをやりながら日本に住んでいるが、ヤオ関連の質問に笑ってこう語っていたことがある。「確かに試合にはワーク(ヤオ)とシュート(ガチ)があるだろう。だが本当に一流の選手同士が戦えば、ワークもシュートも超えてしまうものなのだよ」。そう、猪木vsロビンソンはまさにそういう試合だった。


 さて裁判で問題となった北の湖−初代貴乃花戦は、当時の観客の目にはどう映ったのだろうか。