IGFに初代タイガーマスク、藤波が参戦

 久しぶりにプロレスの話題というか、懐かしい顔ぶれが揃った。初代タイガーマスクこと佐山と藤波である。もう2人とも50代になっていることに時代の流れを感じさせる。猪木、藤波、タイガーマスクと揃えば、新日本プロレスの黄金時代のときであった。

初代タイガーマスク「猪木イズムを示す」 11.24IGFに参戦!
藤波“打倒猪木”掲げIGF参戦「仕掛けていきますよ」(sportsnavi)
IGF、スネークピット・ジャパン業務提携 (IGFオフィシャルサイト)

 この3人はそれぞれプロレスというものに革命を起こしたといってもいいだろう。猪木は力道山の付け人の弟子として、それまでの日本人レスラーは柔道や相撲上がりのパワーファイトが中心だったのに対して、初めて本格的なレスリングテクニックを持つレスラーとなり、かつてカール・ゴッチしか使えなかったジャーマンスープレックスホールド(原爆固め)をいち早くマスターした。猪木の代名詞にもなった卍固めもゴッチ技であった。そういえば3人ともゴッチの直弟子でもある。


 藤波は猪木の付け人の弟子として、入門時は体の線が細かったが海外遠征から帰国後、ドラゴン殺法と言われた一連のスピードのあるあっと言わせる技を連発した。ドラゴン・ロケットというリング上から場外の相手に向かってロープの間からダイビングする技があった。またドラゴン・スクリューという相手の片足を腕で高速で巻き込む技は、本当にスクリューに巻き込まれるようなイメージに見えたものだ。ジュニアヘビー級ならではのスピード感のある技だったが、藤波がヘビー級に転向後、彗星のごとく現れたのがタイガーマスクだった。


 当時、4次元殺法と言われたようにプロレス技に革命を起こしたといってもいい。飛んだり跳ねたりするのは当たり前だが、それ以上に力強い安定感のあるレスリングのベースのもとに繰り出される技に、いまだにビデオで見ても魅了されるものである。たとえば倒立した状態で両足で相手の頭を挟み、自分の頭を軸にして両手でスピンをかけ、遠心力で相手を足で投げ飛ばすなどというものもあった。佐山は「百年に1度の天才」とまで言われた。その後、プロレス技はエスカレートしていったが、佐山ほどの衝撃を受けたことはない。やはり技のキレ、天性のカンといったものが群を抜いているのである。


 猪木、藤波、タイガーマスクが6人タッグで出場した黄金時代のビデオも残っている。この頃は猪木が怪我で欠場していても、タイガーマスクが出場していれば、客入りには全く影響がなかったという。今回のIGFは黄金期のメンバーがゲスト出演というか、こちらが本来、新日本プロレスの本流だったという気がしてならない。そうそう、その頃の実況が「闘魂の語りべ」の古舘伊知郎だった。


 今回は小川は出場しないようだが、猪木、佐山、小川は10年前にUFOを構成したメンバーである。結局、小川中心ではブームを作れなかったか、社長だった佐山が離脱して、猪木と小川も疎遠になって自然に消滅したようになったが、正式にはそれ以来ということになるだろうか。藤波は新日本プロレス社長にもなったが、業績不振の責任から株主の猪木に解任され、その猪木も新日本プロレスから離れてともに無関係になっている。猪木を中心に離合、集散を繰り返しているのが、猪木の弟子をめぐるプロレス界の顛末である。


 いずれにしてもプロレスは格闘技に押されて長期不況のような状態で、ハッスルのようなおちゃらけ路線も出てはきているが、本当に内容で魅了するプロレス復興の道のりは遠そうである。藤波が語っているように、プロレス談議を1時間すればその58分は昔話になってしまうというのが実情である。このブログも例外ではない。そのうち小川も含めて、黄金期のメンバーによる仕掛けを期待したいものである。