Googleサービスへの批判

 今年はGoogleマップストリートビュー(SV)のサービスが開始され、知らぬ間に自宅周辺まで写真公開されていることに驚き、一部の自治体では議会にも取り上げられて社会問題化して、Googleへの非難も寄せられているようである。全く問題がないとは思わないが、なんでも新しいものにすぐに批判をしたがる、きわめて日本的な傾向がまた出ているようにも思う。

トラブル相次いだGoogleのサービス 「必要な人」「いらない人」の二極化へ?(ITmedia)

 YouTubeのときの著作権問題、最近の子供の携帯電話の所持禁止、もっと遡れば掲示板への犯罪予告書き込みをとらえてのインターネットそのものに対する批判など、忘れてしまったものも含めて数限りない。一部が問題になれば全体を否定したがるという、なにか連帯責任というか全体主義的な発想を感じられることさえある。何か問題が生じれば、鬼の首でも取ったかのようにマスコミが過大に取り上げすぎることもあるのかもしれない。


 Microsoftのときと同様に、ネットで巨大化したGoogleをよく思わない人もいるだろう。ストリートビューなどは格好の批判対象だろう。「一民間企業が情報を取り巻く番人になっている」「誰がやってくれと頼んだのか」などというのには、ちょっと閉口させられる。日本はいつまでもただの情報の消費国に過ぎず、新しいものに批判だけ加えていればいいのか、という気になる。文化の違いと言ってしまってはそれまでだが、いつも日本からは世界に向けて新しいものを出せない根本的な理由がそのへんにあるような気がする。


 ともあれ、Googleサービスの公開・非公開の区別は、あまり意識の無い人には明確にしておくべきだろう。初めてサービスを利用したときのデフォルトの設定が「公開」になっていることは、前から気になっていた。普通のWebページにしろ、まだ内容を作っていないうちから公開というのはおかしい。セキュリティポリシー的には「すべて拒否(非公開)」が原則で、例外的に「許可(公開)」にするべきではあろう。特に公開か非公開か意味がわからない人に、初めから公開はおかしな結果を招きかねない。以前にもGoogleカレンダーを知らずに公開のままにしておいたために、プライベート情報が公開されてしまったなどということがあった。単純なことをいえば、公開と非公開のボタンが無造作に同格に並んでいることから問題だと思う。公開は例外とするならば、公開設定はわざと少し難しくしておくべきだろう。ユーザは初めは非公開で限定されたユーザにだけ公開できることにしておいて、公開する意味がわかってきた段階で能動的に一般公開できるようにするべきだろう。


 Googleのサービスや設定はシンプルである。レベルの高いユーザほどシンプルさを好むGoogleの技術者にとってはベストなものであっても、これだけいろいろなレベルの一般ユーザが増えれば、それを「説明が不親切だ」と捉える人も必ず出てくる。明らかに稚拙なサービスで使いにくいというならば使わなければいい話だが、そうではないやや的外れの部分もありそうである。いずれにしても、Googleサービスはネットの利用そのもので、社会の中ではもはや必要不可欠のものとなっていることは確かだろう。