紙メディア企業の衰退

 デジタル時代の進行で、最も打撃を受けているのが紙メディア企業であるという。日本ばかりでなく米国でも深刻のようである。ただ、これが単に時代の流れというだけでなく、古い体質のメディア企業が新しいビジネスチャンスに備えることなくやってきた自業自得の結果だという見方もできるという。

メディア企業は自業自得(japan.internet.com)

 新聞や雑誌など紙媒体のメディアは、樹木を殺して紙に印刷して運搬して流通させるという恐ろしく非効率のことをやってきたといえるわけだ。デジタル化が可能になったときに、この流通コストをほとんど無制限に減らせることに気がつき、早くから手を打っておくべきだったというわけである。それが独占的に好景気の時代の発想から抜けきることができなくて、現在の金融危機で破綻の危機に曝されている自動車産業と同じことだというわけである。


 メディア企業でいえば、自分たちが世論、オピニオンリーダーであるという驕りがあったからではないかという気もする。テレビなども似たようなものだ。フィードバックがない、自分たちだけが特権的にコストのかかる印刷、出版の手段を使って一方的に意見を発することができる。一般読者は黙ってお金を払って、その意見に従うしかないというのが紙メディアの「選ばれし情報発信者」という意識を作り上げてきたことが背景にあるのだろう。


 デジタル時代、ネット時代が進み、次第に誰でも情報発信ができるようになった。職業としての情報発信を行う人は多くないにしろ、多くの有益な情報がネットで無料で手にできる時代になった。その結果、かつて権威があったメディア企業の発する情報が相対的に価値が下がっていって当然である。ITの世界でいえば、オープンソースが無視できなくなったどころか、こちらの方が主流にさえなってきていることに例えられるだろうか。


 紙メディア企業にとっては、デジタル化が進むことが強力なライバルが出現したということだけではなくて、むしろ自分たちのビジネスチャンスでもあったが、それをみすみす逃してしまったというわけである。「金のなる木」ではないが、木を紙に変えて金に換えるというビジネスの固定観念にとらわれて今の状況を招いたというわけである。それにしても、それだけデジタル時代、ネット時代の進化のスピードが早すぎたのかもしれない。ITの進歩がドックイヤーと言われている一方で、変化を何十年単位でしか受け入れられない硬直化している企業、組織では対応ができなかったたともいえるだろう。資金があれば必ずしも対応できるというものでもない。結局、企業や組織としての寿命を迎えたということになるのだろう。古い組織が劇的に新しくなるのではなく、タイプが違う新しいプレイヤーと交代するだけのことである。