違法・有害情報対策で国民運動とは

 総務省がネット上の違法・有害情報対策としての施策をまとめ、何やら「国民運動」を期待するのだという。青少年向けには携帯はじめ、国が規制することばかりに腐心している風潮だが、今度は国民運動ときたかという感である。どこかで聞いた言葉だと思っていたら、自民党を離党した渡辺喜美議員が「政治を国民の手に取り戻す国民運動を」と言っていたのだった。それと比べても何やら違和感を感じる国民運動の提言である。

違法・有害情報対策で「自主憲章」を共有する「国民運動」展開へ(INTERNET Watch)

 国はネットの法規制などをどんどん進めて、それを下支えさせるために国民運動をしろ、とはどういうことか。きわめて官僚的発想にしか思えない。確かにインターネットは登場してから社会的に必要不可欠なインフラとはなった。しかし国家が管理して、国家の都合の良いように国民運動を起こして使えと促せるものではないはずである。


 インターネットに有害情報が流れたからといって、それでインターネットそのものを国が規制して、インターネットを使い方の相互監視して自主規制するような国民運動を起こせと言っているようなものである。「自主憲章」だとか、言葉では何とでも言えるだろう。
 しかし何かおかしい。インターネットの根本精神を理解していない提言なのである。ネット掲示板に犯罪予告が書き込まれたから、インターネットを規制すべきだという発想である。犯罪が増えたのは、あたかもインターネットが普及したせいと言わんばかりである。マスコミがそういう偏見を持った報道を繰り返してきたせいもあるかもしれない。


 インターネットは本来「民主主義の道具」なのである。名のある人も無名の人でも同等に発言、主張の機会を持つことができる。国家によって言論統制されていた時代とは、全く異なる状況となったといえるのである。国民運動どころか、大勢の人が自由に発言して自然発生的に世論が形成されることが可能になってきている。政治家やマスコミが一方的に流した情報だけで「作られた世論」ということではなくなりつつある。


 ただ歴史的にも、いまだに本当に民主主義が成熟した時代というものはない。今後も試行錯誤が繰り返されることになるだろう。しかしネットを使えば、主義主張も双方向ですぐに伝わり、選挙すら直接選挙が可能な時代へとなりつつある。こうした中で重要なことは、インターネットでいかに正しく民主主義を実現するかということではないだろうか。しかも、まだ誰もそのベストの方法は知らない。進化の過程で負の部分も生じるのは文明すべてにおいて同じことで、ネットを悪用しようとする犯罪者も当然出てくる。しかしそれを差し引いても、いかにネットを正しい民主主義を実現するために使うかということこそ強調されるべきで、次世代の若者にも伝えていくべきことではないのだろうか。国家に統制された「国民運動」などというものを連想すると、昔の時代の嫌なものを感じてしまうのは自分だけだろうか。