Webの生みの親の期待と後悔

 TCP/IPの生みの親がヴィントン・サーフなら、Webの生みの親はティム・バーナーズリーである。そのバーナーズリーが現在、Webの将来への期待と後悔とは何か。

WWWの生みの親が語るネットの未来と後悔(ITmedia)
World Wide Web 20周年--バーナーズ・リー氏とウェブの夜明け(CNET Japan)
Web コンテンツの将来を担う HTML 5 草案を公開(W3C 2008.1.23)
ライブドア、「EDGE」のトップページをHTML 5化(ITmedia)

 懸念はユーザのWebサイトへのアクセスがさかんになった結果、そのユーザの追跡がWebでかなり自動的に可能になることである。それによって容易に個人を特定できてしまい、プライバシーの侵害、当局による管理を強める結果になりかねないということである。


 ネットを介した重大な犯罪を捜査をする上では、ある程度ネットから追跡できることは必要であろうが、国家レベルになると、それ以上に言論統制にも繋がりかねない危険性を、Webの技術に秘めている。実際、「インターネットの敵」などとして公表しているケースもある。Webの技術が進化すればするほど、インターネットの検閲などで言論の自由を脅かされる可能性も増すという諸刃の剣の懸念であろう。


 期待されるところでは、これも言葉だけは以前から聞かれたものだが「セマンテックWeb」である。昔のイメージだと、アクセスするユーザに合わせてWebページの内容が異なって表示されるようなものだったが、ここでは言うところでは、もっと高度に多くの検索結果などからコンピュータに自動的に解釈させて、知の体系を作り出すということなのだろう。それも現在のように、1つのテーマに関しても膨大な量のリンクが存在しているからこそであろう。


 後悔していることは、一見つまらなそうなことにも思えるが、http://のスラッシュ2つの表記が余分だということや、ドメイン名の表記が上位ドメイン名が後ろにくるようにしたことだという。日本の住所の表記では確かに大きな地域が先だが、欧米式の住所の表し方に沿ったものだろうと解釈していたが、やはりアドレスの表記としては失敗だったと思っているのが面白い。ユーザは慣れてしまって、そんなものだからと思っているが、最初に考えた人にとっては、今ではもう取り返しがつかないと思っているのかもしれない。


 ところで2008年に草案が公開されたHTML 5のその後の展開はどうなっているのだろうか。XHTMLへの反省からバーナーズ−リーの意向も大きかったと思われるが、創始者とはいえHTMLは、もはや個人の意志からは離れた存在であるともいえるので、実際のところはどうなのだろうか。いち早く対応したライブドアのサイトの記事によれば、2010年9月勧告予定だというが、当初の予定からして遅れているようにも思う。