GoogleとMicrosoftの弊害の比較

 GoogleMicrosoftを社会に大きな影響力の持つ企業として並び立て、そのどちらが大きな弊害を持っているかを比較している議論がある。無条件に賞賛するよりは、厳しい批判もするべきとは思うが、単純に悪者として比較する評価は無理があると思う。

グーグルとマイクロソフト、本当の悪者はどっち?-RSA Conference 2009..(CNET Japan)
グーグルの抱えるプライバシーのジレンマ(2005.7.20)

 カンファレンスでの講演者が、セキュリティの専門家としての立場からという点に注意しておくべきだろう。簡単に言えば、Mcirosoftはユーザにソフトを売って金を取るだけだが、Googleはユーザが何もしなくても、世界中からその個人情報を勝手に集めていくのだということである。全く問題の質が異なっているといってよいだろう。


 Microsftはソフトウェアライセンスという体系を作り出して、あの手この手でソフトウェアの独占を達成してきた。ライバル企業を狙い撃ちで潰したり、強引な買収を行ったりしてきたりしてである。結果的に、一般ユーザにはソフトウェアの選択の自由がなくなっていった。仕事でも生活でも、Microsftに税金のようにお金を払わなければPCというものは使えない状態になったのである。識者から見れば人間の文化の発展の中で「Microsoftが健全なソフトウェアの進歩を阻害してきた」ということになる。この弊害から逃れ、やや光明が見出されてきたのがLinuxをはじめとするオープンソースソフトウェアが認知されてきたことだろう。Microsoftのソフトウェア支配の閉塞感の中から別の選択肢が現れたのである。


 GoogleMicrosoftのソフトウェア支配を新しく勃興したネットの世界の方から打破しつつあるということである。ビジネスモデルが全く異なるから、一般ユーザからお金を徴収することはない。ところがネットという全世界の情報を網羅する必要から、あらゆる情報を集めだしている。当初はGoogle検索で検索結果をすべてキャッシュすることから、違法コピーの著作権侵害に当たるのではないかと懸念された。またユーザごとに関連する広告を表示させるために、検索キーワードが記録され、Gmailではメール文面のキーワードが記録され、Webでの閲覧履歴が記録されたりと、個人情報や行動履歴がGoogleに保持されているということである。また最近では社会問題化されている新しい問題としては、ストリートビューで個人のプライバシーが侵されているという懸念がある。もちろんこれは特定のユーザの情報を意図的に得ようとするものでなく、すべての情報をネットから機械的に取り込んでしまうことから生じた事態であろう。ところがユーザからすれば、何やら自分がGoogleから監視されているような気持ちになってしまう。
 さらに飛躍すれば、もし政権や社会体制がひっくり返ってGoogleが政府に利用されることになれば、個人のあらゆる情報は監視下に置かれる危険があるということである。


 Microsoftはソフトウェアの時代の、Googleはネットの時代の社会問題を一方で生じさせてきたのであり、問題の質は全く異なるが、それは社会にそれだけ普及してきたからこそである。関わる人間が多くなればなるほど、社会問題も多く生じるようになるのは人間社会の常である。特定の1社だけ悪者扱いにして廃止させればよいという単純な問題ではないだろう。