Wikipediaの編集者が激減?

 Wikipediaの編集者が少なくとも本家の英語版で激減しているという、ややショッキングなニュースがあった。Wikipediaはこれを否定しているが、実際のところどうなのだろうか。CGM(消費者主導型メディア)とか集合知の説明にもよく採り上げられるWikipediaであり、Google検索とセットで広く知られているものだけに、「存続の危機」という報道は穏やかではない。

ウィキペディアの編集者が激減―研究者が「存続の危機につながる」と指摘(COMPUTERWORLD.jp) 
Wikipedia運営団体、「ボランティア編集者激減」の報道に反論(ITmedia)

 確かにWikipediaは2007年をピークに、編集者の数は減少傾向に入ってはいるようである。これは百科事典としては、多くの分野では記事内容がが行き渡り、ほとんどの作業は修正と更新の段階に入っているからではないか。全く新規に項目について記述するという書き手の方としての面白みは少なくなってきているからかもしれない。自分はWikipediaの記事を書いたことはないが、新規に書く人と修正、更新をしていく人とはまた別の人になっていくからではないかと思う。Wikipediaが開始されてからしばらくは、新規項目についての記述の必要性が多く、またそれに積極的に参加したがるボランティアも多かったと思うが、いったん記述内容が定着してしまうと、あとはその項目に関してはメンテナンス段階に入ってしまう。システムを構築する人と、維持する人は別であることと同様である。初期の頃に構築した人は、役目を終えたとして、ある程度は去っていったのかもしれない。本家の英語版が最も整備も早かったので、他国語版よりは早くその段階が来たのかもしれない。それが2007年以後だといえるのかもしれない。


 懸念されるのは、初期の頃の編集者ばかりでなく、記事をメンテナンスする人も減ってしまうようだと、確かに存続に陰りが見えてくることかもしれない。最新情報が更新されなくなるWebページやブログと同様である。ただ、もともと編集者はボランティアばかりなので、少なくともその情報に関心のある人がいれば、世間的に注目されるような項目については、検索エンジンWikipediaのその項目がトップ近くに来ている限り、ボランティアで更新する人は現われるだろう。人間は情報を知りたいという欲求とともに、自分の持つ知識や情報を知らせたいという欲求も持っているからである。Wikipediaそのものに対する関心というより、そちらの方の関心の方が大きいような気がするからである。ただし、Wikipediaも記述内容は残るとしても、システムそのものは、今後時代とともに変わってくることにはなるだろう。


 そういえば、最近、目に付いたのがWikipediaのページのトップに表示される

 「いつもは、あなたがウィキペディアを必要としてきました。――いま、ウィキペディアがあなたを必要としています。」

というメッセージと、寄付のお願いである。これは寄付だけでなく編集者も必要としているということだったのだろうか。


 それにしても、Wikipediaも、どうやって収益を出しているのか不思議ではある。調べてみると2007年頃には財政危機が噂されていた時期もあった。Googleのようにページに広告を出すわけでもないし、どこか大口の寄付をしてくれる団体でもあるのだろうか。ともあれ、ネット上の集合知の典型のようなWikipediaのような形態は、何らかの形で続いていくことは確実だろう。一度手に入れた知識獲得の手段が無くなるということはありそうにないからである。