新聞社が苦しいのはGoogleのせい?

 新聞メディアの衰退が言われだしてから久しいが、Googleニュースの検索に新聞社からの圧力で閲覧制限がかかるようになった。新聞社側は、Googleがニュースにタダ乗りをしていることを批判するが、それが新聞メディア衰退の根本原因ではないだろう。

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 ネットの普及によって、紙である新聞を買わなくても、あるいはそれよりももっと早く必要なニュースを知ることができるようになった。新聞社そのものもWebサイトを持ち、記事の一部を公開する形で将来的にはWeb閲覧に課金できるようなビジネスモデルを考えていたはずだった。


 ところがなかなか有料閲覧に切り替えができないどころか、Webなら1つの新聞社だけでなく、複数の新聞社サイトの記事が読めるから、1社だけ有料化してもほとんど意味がないことになる。そして1つの記事内容に関して「関連記事」として多くの新聞社サイトにリンクされているのがGoogleニュースである。この存在を槍玉に挙げて、有料化を阻んでいるのはGoogleであるかのような議論は、確かに無理がある。いろいろなジャンルである「GoogleYouTubeタダ乗り論」に便乗しようとしているようにさえ思える。


 雑誌や本も含めた紙メディア全般に衰退しているのは、「紙」というきわめて非効率な媒体を介してしか、しかも入手できる場所が限られてしか情報を得られないという決定的な原因にある。環境に関して森林資源の保護とか、廃棄されるゴミ問題まで議論されれば、いかにも時代遅れのものになっているといえる。PCだけで限っても、プリンタでやたら紙に印刷したがる人がリテラシーが欠如しているのではないかと思えるのも同様のことである。


 しかし長年、特に新聞などは庶民に毎日の世の中の出来事を知らせるための手段だった。テレビが登場しても、やはり活字で詳細を知ることは変わらなかったといえる。しかし決定的なことはテレビも同様だが、単方向メディアだということである。新聞記事の書き方や社説などの一方的な作られた「世論」に対する疑問が、ネット時代になって社会に芽生え始めてきたという側面もある。偏った見方をしたくないなら、昔は複数の新聞でも購読して読み比べをしなければならなかったが、よほどの評論家でもない限り、そうしたことはしないだろう。ところが現在では無料である限り、あるいは無料で登録できる限り、検索して多くの関連記事を即座に読むことができるし、それに対する新聞社からみれば素人意見であるブログですら、無数にあふれている。そうしたことを経験してしまえば、1つの新聞だけを集中して読む動機も薄れてくるというのが現実だろう。


 新聞社にしろテレビ局にしろ、ネットが広まってきた頃、新しいコミュニケーション手段を軽視していたか敵視してきたことが、失敗の始まりだったところがある。あるいは社会でステータスを確立していた彼らにとって、新しいネットも単なる技術として、従来の体制の中に従属させられるべきものと考えていたフシがある。ところがネットのオープン性が広がってくると、ネットで自分だけの利益を追求するのは難しいことがわかってくる。それどころか、より自由なメディアであるネットの方が既存メディアを凌駕しつつあることに気がつく。そうなると既存メディアとしては、時代に即した新しいビジネスモデルの追求よりは、社会に対して自らの既得権の主張しかなくなるのではないか。


 不況の追い討ちもあり、ネットに対しては比較的理解があると思われたウォールストリートジャーナルのNews Corp.すら、やはり旧世代のメディアだったという感がする。米国だけでなく日本の新聞社も似たような状況で、とうとう赤字転落している新聞社も現われ始めた。「紙」が足かせになっているというより、新しいメディアのあり方を根本的に変革する発想が追及できていないのは、長い時代に慣らされているせいといえるかもしれない。