インドで35ドルの低価格PC開発

 かつて500ドルPCが提唱され、ネットブックの時代あるいはiPadの時代の現在ではそれが実現されているといえる。今度は350ドルPCか?と思いきや、1桁違う35ドルPC(3千円強)だという。さらには10ドルPCまで目指すという。インドの話ではあるが、この話が問いかけることは何か。

インド政府、35ドルの低価格PC開発(ITmedia)
100ドルノートPCプロジェクト、安価なタブレットPC目指し提携(5.28)

 PCのハードウェアの価格はこの20年ほどでどんどん低下して、家電製品の中でも安い部類の方に入ってきたのではないだろうか。昔は当時の標準スペックのPCでも20万円くらいもしたものだから、妻帯者ではPCを買うつもりが、いつのまにか大型冷蔵庫に変わっていたなどという所帯じみた話もあったくらいである。一般の人にとっては、よほどPCを使う目的や覚悟がないと、購入の決断も難しい話だった。それに加えて、テレビや冷蔵庫などと違って、実質的な寿命が短すぎた。今ならネットブックか低価格PCに年に5万円くらい用意できれば、毎年1台は購入できるくらいかもしれない。


 しかし開発途上国や物価の安い国にとっては、まだまだPCは庶民にとっては高価なものであろう。と同時に先進国に追いつくためにも、国民の教育のためにも現在では是非必要なものである。急速な経済成長を続けている中国はともかく、中国に次いで人口の多いインドにおいても超低価格なPCは国策としても必要なものらしい。


 インドといえば、優秀なプログラマーを輩出しているイメージがある。インドでも上位の優秀な層であろうが、日本では人件費は高い割には、近年ではプログラマーの質が落ちている危機感がある。そこでインドに限ったことでなく、特に教育においてはもう一度PCの存在意義を考えてみる必要があるのではないか。


読み書きにPCが必要
昔ながらの紙と鉛筆に代わるもの。文字や数字、図形を描く。電子書籍が普及すれば書籍そのものを読む道具になる。特定のソフトウェアを使うことが重要なのでなく、本来の基本的リテラシーを身に付けるための道具として使う。


有料ソフトウェアは不要
WindowsやOfficeのようなビジネスを前提としたソフトウェアは、少なくとも低年齢の教育にはいらない。大学生以上からで十分であろう。必然的にOSもLinuxをベースにした、教育向けディストリビューションでよい。特定のメーカーの意図に左右されるのではなく、自由な発想でカスタマイズできるものの方がよい。


教育環境のインフラ
PCそのものよりも、いずれネットを含めたインフラの方が問題になるだろう。これは先進国との差は大きい。しかしひとたびネットに参加できるようになれば、ネットやクラウドにより世界から教育内容についても事実上の支援を受けられるようになる。YouTubeを通じて他国の学校の授業を知ることができたりするのもその例である。


 国家財政が逼迫している日本にとっても、これは開発途上国の話とばかりとせずに、考えるべき話と思える。もはや特定メーカーだけを儲けさせるようなPCのハードウェア、ソフトウェアばかりに予算を投入して「情報教育環境の整備」みたいなことを言っても効果に実がない。「米百俵の精神」は必要だが、無駄に金を使ってもしかたがない。安価な機器でオープンソースで十分であるから、より広くPCやネットを活用して、本来の学問の根本的学力を伸ばせるような教育が必要なのではないか。表面的な「情報教育」を言う時代ではなくなっている。