海賊版とはこれは懐かしい

 なんだか、この海賊版の記事が話題になっているね。近々、著作権問題に関してコメントしなければならない機会があるので、この記事もネタにできそうだ。相変わらず国は教育基本法もそうだが、トンチンカンな立法ばかり考えているものだ。
 海賊版、もはや懐かしい言葉の響きに聞こえる。最初に海賊版という言葉で記憶があるのは「海賊本」だ。昔は海賊本の業者なんかいて、海外の高い専門書(円が安かったせいもある)を堂々とコピーして製本した本を、大学の中まで売りに来ていたものだ。当時でも違法だったと思うが、図書館のコピーなどと同じく、黙認されていたのどかな時代だったのだろう。笑い話としては、もともとカラー印刷の本が海賊版ではモノクロだったために、内容が何だかさっぱりわからないこともあった。
 海賊版CDと聞けば、中国での流通や廃棄が有名だけど、もともとあの国には著作権という概念がなかったのだからしようがない。ネットからダウンロードやP2Pの普及で、デジタル化された情報はあっというまに世界中に流通するものになった。だからといって、もはや著作物の古い意味での「権利」を守ろうとしても意味がない。その流通を監視して取り締まろうとしたら、佐賀県と同じだろう。
 最初の著作者の権利、知的所有権はどこまで行っても厳然と成立する。しかし販売権とか流通過程は、ネットである限り厳格に規制することは事実上不可能。国によって法律が異なり、国境だってないのだから。それを「コンテンツ産業を成長分野に育てるため」などというのは別の話だろう。違法コピーや犯罪の助長を肯定するわけではないが、違法コピーが出回るとは一方でそのコンテンツの名声を高めているというのも事実ではある。