記録メディアの興亡と変遷

 PCの歴史は記憶(記録)メディアの変遷でもあった。自分の古い記憶でいえばコンピュータは大きな磁気テープ、PCはフロッピーディスク(FD)がその象徴だった。そのFDがいよいよ終焉を迎えようとしている。

フロッピーの終焉、DVDは早くも下降期に─記録メディア..(ITmedia)

 個人的には特に感慨はないが、なんのかんので30年近く続いてきたことになるのだから、進歩の著しいコンピュータの世界にあっては記憶メディアとしては長命だったと言えるだろう。FD以後のメディアはみな短命だったからである。
 考えてみれば、PCに関連するメディアは、ほとんどFDに取って代わるものとして登場してきたように思える。そしてFDよりも続かずに市場から消え去ろうとしている。単に面倒くさいからだけだが、今でも捨て切れずにいるのはZIPとMO、そしてVHSテープである。もちろんFDも捨てたいのだが、金具が付いているのでゴミの分別上どうなのか確認していないだけである。。


 なぜ1MBしかないFDだけがこれほど長く続いたのか。ノートPCはともかくデスクトップ機では標準的にドライブが搭載されていたことと、長いことインストール時のブート用に使われてきたことが大きいだろう。Linuxのブート用FDに昔DOSで使っていたFDを潰してよく使ったものだ。ところが最近のバージョンのLinuxでは、とうとうFDブートはやめてしまった。ほとんどのPCがCDブート可能になったからである。


 だがUSBメモリブートとなると、古いBIOSの機種では対応していないので不可能である。かつてのFDの役割に近いのはUSBメモリといえるからである。とはいえ、そのコンパクトさとオフラインでの手軽さの反面、人間がウイルスやワームをPCからPCへと内部から運んでしまうスニーカーネットワーク」の役割も引き継いでいるようで、USBメモリを狙ったこれらマルウェアも増加しているとのことである。さらにポケットサイズのコンパクトHDDからもUSBブートが可能になったので、内蔵HDDに必ずしもそれほど大きな容量を必要とすることもなくなった。


 テレビやビデオの世界でもDVDやBlu-ray(BD)が早くも頭打ちになるだろうと予想されている。DVDなどは著作権のある映画を配布するためには都合がいいというだけで、記録メディアとして最適だというわけではない。むしろ著作権という制約がなければ、廃れるのはもっと速まると思われる。勝者はDVDでもBDでもなくHDであるというのも、ある意味真実である。しかしそのHDさえも、ミニノートPCに見られるようにフラッシュメモリに取って代わられている。容量と価格面から当分は安価で大容量のHDの全盛期は続くだろうが、ブートにはフラッシュメモリを、ストレージとしてHDをという棲み分けが現実的になりそうである。


 いまだにPCにはFDという、PC初期のイメージが抜けきらない層からの根強い?FDの支持があったのかもしれないが、さすがに時代的にその寿命を終えるということだろう。いまだに封筒でFDを送り付けてきて「Wordの原稿をこの中に」というのも困るが、FDがなくなると、さて今度は何を送ってきてくれるのだろうか。