日本人はセキュリティ対策意識が遅れている?

 やや皮肉めいて言えば、最近のネットのトレンドの1つはフィルタリングである。特に青少年ネット規制法を軸に、携帯やPCへのフィルタリングソフト導入を促進しようというものである。社会問題は論じれば切りはないが、やや醒めた視点でざっと見てみることにする。

日本の大人は「セキュリティ対策が他国に比べて遅れている」(CNET Japan)
日本の親、「子供のネット利用は自己責任で」40%(INTERNET Watch)
2011年までに全教員に情報モラル指導力を、内閣府の検討会が提言
“青少年ネット規制法”施行、サーバー管理者にも閲覧防止の努力義務(4.1)
「ThinkPad」などレノボのPCにもフィルタリングソフト標準搭載
「青少年ネット規制法」成立(ITmedia 2008.6.11)

 まずは、日本人のセキョリティ意識の低さを煽るような調査結果が公表されている。日本人の文化意識のコンプレックスを煽るには「世界と比べて」という接頭辞が効くのだろうが、これもそう思える。日本人の大人はSNSなどのオンライン活動による出会いなどには消極的で、セキュリティに対する意識も希薄であるという。一方で大人は子供に対しては寛大なのか、子供のネット利用は自己責任と考える割合が高いという。


 解釈はさまざまあろうが、日本ではもう長いこと「子供の過保護」が問題になってきていた。過保護とは実は保護しないで子供に何でも好き勝手にやらせているということか。ネットの利用に関しても親は、ネットを理解していないこともあり、一切干渉せずにやってきたということなのだろうか。そして昨今にネットの社会問題がクローズアップされてきたが、動きの鈍い親や学校に業を煮やした国が、法律をもって介入してきた。それが青少年ネット規制法成立につながったという顛末だろうか。


 「ゆとり教育」への反動からか再び詰め込み型、規制型の教育が復活してきそうである。日本の長い間の経済の低迷も反映しているのかもしれない。しかし本来「自己責任」を求めるのはもっとも厳しい教育であるはずなのである。大人の社会のトップに立つような人から、責任を明確にできる人は少ないと見える。子供に範たる大人が少なくなったということかもしれない。だから法律だ、フィルタリングだということに過度に頼りたがるようになるのではないか。親と子の関係でいえば、昔からある「知らない人には付いていかない」、「親に言えないようなことはするな」と何ら変わりがないと思える。


 それはともあれ、日本がセキュリティ意識に遅れているという認識には、あまり賛同できない。ネットにあまり詳しくない人の意識だけをクローズアップして結論付けるよりも、セキュリティ技術、体制、他人に迷惑はかけられないとか恥の文化からくる、国民全体の意識は世界でも高いものである。少なくとも日本発のネット犯罪の件数などトータルな観点から見れば、日本はネットでは他国と比較しても十分安全な国なのである。サーバー管理者のトータルの意識が高いこともあるかもしれない。そこにサーバー管理者にも、レイヤーの異なる青少年ネット規制法を意識させるのもいかがなものかと思う。まあプロキシーサーバーの設置はしてやることはできるだろうが、規制の内容までは管理外のことだろう。


 教育できる人材が少ない。これは事実であろう。英語や数学ならはるかな昔から教えられる人も多かったが、ネットなどたかだか10数年である。その中でもどんどん状況が変わってきている。末端でネットは何たるかを低年齢層に教えられる、単なるマニアックではない指導者を育成することは急務かもしれない。国が騒げば、メーカーはビジネスになる。セキュリティソフトメーカーは危機感を煽ればソフトが売れる。ハードもセキュリティの付加価値を付ければ売れやすくなるだろう。国からによるものであれメーカーによるものであれ、あまり煽りには乗りたくないものである。